ジョージ・ナカシマから学んだこと – 木工職人としての原点

小原

こんにちは、ハヤスタの小原です。
今日は私が家具作りを始めたきっかけ、そしてジョージ・ナカシマという存在についてお話ししようと思います。ナカシマは、私にとって「師匠」のような存在であり、木工の世界にのめり込むきっかけを与えてくれました。

彼に対する想いが強すぎて、少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

ジョージ・ナカシマとは

ぺり

まず初めに、小原先生が愛してやまない、ジョージ・ナカシマって誰?と思ったあなたのために、彼のプロフィールを少しだけ。

出典:Nature Living

ジョージ・ナカシマ(1905年–1990年)は、アメリカ生まれの日系アメリカ人で、20世紀を代表する家具デザイナーの一人です。

彼は日本の禅の思想や「木を敬う」文化に強く影響を受け、自然の木目や形をそのまま活かした家具を数多く生み出しました。

第二次世界大戦中、アメリカで日系人として強制収容された経験を持ち、その後独自のデザイン哲学を築き上げます。

代表作の「コノイドチェア」や「ミングレンテーブル」は、シンプルでありながら自然との調和を大切にしたデザインが特徴です。ナカシマは1990年に亡くなりましたが、彼の工房は家族によって引き継がれ、現在も彼のデザインは世界中で愛されています。

ナカシマとの出会い – それは1冊の洋書から始まった

私がナカシマを知ったのは、前職の日本洋書販売配給KKで働いていたときです。当時は洋書の輸入卸をしていて、1980年頃のことでした。ある日、出版社から送られてきた新刊案内の中に『The Soul of a Tree』という本がありました。

本をパラパラとめくると、これまで見たことのない独特な家具が並んでいて、「こんな家具があるんだ」と強く惹かれたのを覚えています。ただ、英語が得意ではなかったので、内容までは分かりませんでした。

それでも気になって仕方がなく、会社の同僚で英語が堪能な人にだいたいの内容を訳してもらい、少しずつ理解を深めていきました。そのうちに、辞書を片手に自分で読み始めるようになり、数年後には日本語訳の本が出版されました。やっと隅々まで理解できたときの感動は、今でも忘れられません。

実は私は、子どもの頃からものづくりが大好きでした。木は加工がしやすく、おもちゃの車や飛行機を自分で勝手に作っていた記憶があります。

初めて「家具らしいもの」を作ったのは15歳のときで、見よう見まねで自分用の収納棚を作りました。さらに18歳のときには、木でバッグを作ったこともあります。一人暮らしを始めてからは、アパートの家具を自作するようになり、いつの間にか木工が生活の一部になっていました。

そんな背景もあって、ナカシマの作品に出会ったときには、まるで自分の琴線に触れたような, 感銘感動を受けました。「ああ、ついに出会ってしまった」という強烈なインパクトがあったんです。

脱サラのきっかけ – ナカシマの生き方に共感

「すべてを自分の思う通りに作る」
ナカシマが家具作りを始めたきっかけは、その言葉に集約されていました。

その話を読んだとき、私は30歳でした。会社員生活を送るなかで、「自分はサラリーマンには向いていない」と感じ始めていた頃です。ナカシマの生き方に触れて、「自分もこういう生き方がしたい」と強く思いました。

これが、私が脱サラして家具作りの道に進む大きなきっかけとなりました。

小原

彼に出会っていなければ、今この仕事をしていないと思います。

ナカシマ作品を見よう見まねで – 試行錯誤の連続

松本に住んでいた頃、私はナカシマのコーヒーテーブルの脚を真似して作ってみたことがあります。知り合いの木工家に「変わった脚だね」と言われましたが、私は「どこが変なのか?」と全く分かりませんでした。

東京都に引っ越してから別の木工家に話を聞くと、「ナカシマの椅子は観賞用で、座るとグラグラする」と言われました。おそらく、日本の湿度がアメリカと違うため、木が緩んでしまったのか、または、その人が、修理で締め直すことができなかったのではとも思いました。

それでも私にとってナカシマの家具は、単なる実用品ではなく、芸術品のようなものでした。

ナカシマの作品に触れて – 実体験から学んだこと

新宿の小田急でナカシマの個展が開かれたときには、何度も足を運びました。店員がいないタイミングを見計らって家具を触ったり、扉を開けたり、裏を覗いたり…。

その後、知り合いの紹介でナカシマの家具を実際に使っている方の家に伺い、重さや質感を直接感じることができました。「普段遣い」している家具に触れ、改めてナカシマの偉大さを実感しました。

家主は次々に欲しくなって買い集めてしまい、まだまだナカシマの家具を欲しいようでした。
こんなお客様が自分にもできる時が来たらなあと、思いました。

ナカシマの好きな作品

一つあえて挙げるとすると、コノイドチェアーです。片持構造になっていて、細部の図面も公開されていました。

オリジナルな家具を作るには、モデルがあっても、色々検討していく内に自分なりに納得出来る姿、形に落ち着くものです。

私も、コノイドチェアを頭の中で散々いじくり回しまし、なんとか自分でも彼のようなオリジナルな作品が作れないかと考えましたが、自分の様な者が真似して研究しても超えられるような物では無い事が分かりました。

小原

自分は自分の作品を追求していきます。

ナカシマの訃報 – つきものが落ちたような感覚

1990年にナカシマが亡くなったとき、私ははっきりと「つきものが落ちた」と感じました。

これまで私は、心の中でナカシマと「相談」しながら家具を作っていました。新しいデザインに迷ったときは、ナカシマならどうするかを想像して進めていたのです。

しかし、ナカシマが亡くなったと知ってからは、その声が聞こえなくなりました。

夢がさめたようにそれからはスッキリ、勝手なナカシマとの会話は、全く無くなり、好きに家具を作るようになりました。

自分自身の感覚を信じて家具作りに向き合えるようになったのです。

小原

ただ、何を作ってもナカシマの影響は、今もあると思います。例え、器や、フォトフレームを作ってもです。
図面に一本の線を引いてもです。それほど影響を受けた人は今までもこれからもいないと思います。

ナカシマの教え – 私の作品への影響

ナカシマの作品には、常識では考えられないようなアイデアが散りばめられています。

例えば、「ブックマッチ」のテーブルは、私が最も影響を受けた作品の一つです。「完璧な一枚板よりも、木を合わせることで生まれる美しさ」を教えてくれたのは、まさにナカシマでした。

ナカシマは、色んな家具を研究したと思いますが、何処の、誰とも違うオリジナルを創り上げたのは、見事だとおもいます。

私もまた、人がやらないことをやる。「他と違うものを作る」ことを大切にしています。
私は人が作ったものをコピーして売ったり、真似して作ったりはしたくありません。自分らしさを大切にして行きたいです。

まとめ – ナカシマが教えてくれたものづくりの心

ナカシマから学んだことは、家具作りだけではありません。「自分の手で何かを作り上げる喜び」を知るきっかけになりました。

今でも、私の作品にはナカシマの影響が色濃く残っています。「人と同じものは作らない」、これが私のポリシーです。

ハヤスタでは、木の温もりを大切にした家具をお届けしています。ぜひ、私たちの作品を通して、木の魅力やものづくりの楽しさを感じていただければ嬉しいです。

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